やっと終わった~。長かった授乳期間が。我ながら2年近くもよく出していたな…と感心する。会う人ごとに「また痩せた?」と聞かれるのは、私の栄養が母乳を通して赤ちゃんに行っていたからだと思う。親は貧弱、子どもはまん丸。ダンナにも、腕の太さが汐音(娘の名)と変わんないね、と言われる始末。
私のお姑さんも、母乳の出が良く、赤ちゃんは肥満体型なのに、自分はいつの間にか骨と皮のようになってしまい、授乳のドクターストップがかかったそうだ。35年以上前の話で、母乳が出なくなるように薬を飲まされ、胸部をバンドでぐるぐる巻きにされたのだとか。かなり怖い話。
娘は平日は昼間働いていて夜しか会えないためか、かなり頻繁に「おっぱい~」と来る。いつあの一言が出るか?と思うと、外に行くのもイヤ。だんだんと断乳したいという気持ちが強くなっていった。
ある日、娘が写真を見ながら写っている人の名前を一生懸命言っていた。ダダ(お父さんのこと)、☆☆、○○、で、私はなんと「おっぱい」。はぁ。ママの存在理由はそれだけかい?とつっこみたくなる。
友人に借りた本には、「赤ちゃんは母乳が必要、授乳は精神安定剤のようなもの、親子のコミュニケーションの場、無理に止めるのは望ましくない」とあった。で、著者の先生は「断乳」ではなく「卒乳」を勧めておられた。赤ちゃんは時期が来たら自らおっぱいを欲しがらなくなる。その時を待ちましょう。能動的に卒業するから「卒乳」…素晴らしい考えです。
でも、私は待てなかったのだ。赤ちゃんのうちは授乳の平和なひとときがとても好きだった。でも、娘がもうすぐ2歳という時、本能的にどうしても止めたくなった。私は本能や直感をとても大切にする人で、今回は毅然とした態度で断乳に取り組んだ。
この日から止める!という1週間くらい前から、私は授乳のたびに、痛い、痛いを連発(歯があるから本当に痛い!)。娘はだんだん申し訳なさそうな顔になってきた。
そして、とうとう当日。泣いても叫んでも、「痛いからもうないよ」とあげなかった。ごめんね…という気持ちはかなり強かったけれど、ここで根負けすると子どもも困惑してしまうので、一晩泣いてもらった。すると驚くほどあっさりと、翌朝から彼女はおっぱいを欲しがらなくなったのだ。「ママ、痛いね~」と言うだけ。潮時だったのかもしれない。泣いても執着心も消えたようだ。
あ~、めでたし!と思うもつかの間、翌3日間は、おっぱいがキンキンに張って痛いのなんの。初日は寝れないくらい…こうきたか…。
つわり、陣痛、出産、色んな痛みを経験したけれど、赤ちゃんに関する痛みはこれが最後かな?などと思いつつ冷やして凌いだのだった。
(リビング・イン・ケアンズ誌2002年11-12月号に掲載)