連載
ママのため息| マーフィー恵子

【第11回】コドモの意思をどこまで尊重すべきか…

毎日は小さな決断の連続だ。今日はどの洋服を着ていこうかな、から始まって夕御飯は何にしようまで、いろいろなことを人は選んでいく。それはコドモも同じである。

2歳近くになると一人前になってきて「花柄のシャツでなきゃいやだ~」とか「今見たいのはこのビデオじゃな~い」とか「ミルクはこの温度は好きじゃな~い」とかうまく伝えられなくて泣いて訴えたりする。(親が早くしゃべれるようになってほしいと切に思う瞬間だ)。

こうして人は自然に我が出てくるものだが、日本人は大きくなってくると自分の意志をあまり押し出さない人が多いようだ。よく言えば周りに合わせることがうまい。悪く言えば、自分の意志があまりない。

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▲この頃の娘は、イヤでも毎週末、お兄ちゃんのラグビーの試合に連れ出されていましたが、今では全く興味なし。「私はお友達とショッピングに行く」と意志がはっきりしています(笑)

最近、オーストラリア人一家と時間を共にする機会が多かった。会話を聞いていると、2歳半くらいの子供に何から何まで意志を尋ねていたのでびっくり。「水玉と縞とどっちのシャツにする?」「お風呂に入るそれとも短いシャワーにする?」「あなたも私達みたいに飲み物に氷入れる?」と何から何まで聞くのだ。Would you like ~ ? の連続。彼女はちゃんと考えて、「今日はブルーの縞にする」などと答えていた。

こうして小さいうちから決断する訓練がなされるのか~と一人感心してしまった(うちの子は、このシャツかわいいね、と言おうものなら喜んで着るタイプ)。オージーがイエス、ノーが非常にはっきりしているのは、小さい時から習慣がついているからなのらしい。日本人のお母さんは、大抵、聞く前にやってあげちゃうではないですか?

一から十まで選ばせるのはコドモの意志を尊重しているようでもあり、コドモにとって不自由でもある。親の与えた選択肢しかないからだ。また、親だったら意志を通してくれても大きくなったら世間はそうはいかない。自分の意志で決断、選択するのは大切なことだけれど、意志が通ることが当然になってしまったら、危険。周りの動きもみなければ、ただのワガママな人になってしまう。

一方、日本流に色々な世話をしてあげるのは、コドモにあまり自由がなさそうでもあるが、与えられた環境の中でそれなりにやっていく知恵を与える。でも親が世話を焼きすぎると、自分で考えるのが面倒くさくなって、無気力な、どっちでもい~よ~という人になってしまう。

・・・と、バランスを取るのがとても難しい。でもどんな接し方が良いのか正解を知っている人はいない。子育ては模索しながら、自分が正しいと思ったことを実行するしかないのだ。その点、外国に住んでいると、色々な躾の仕方を見れてとても興味深い。

(リビング・イン・ケアンズ誌2000年2月号に掲載)

マーフィー恵子さんの近況

「またまたスクールホリデーが始まりました。
 こちらの学校は休みばかり、というイメージがありますが、
 ハイスクールともなると普段の宿題の量がものすごく多くて、
 週末まで使わないと終わらないほど。

 膨大な提出物に目を通し、成績をつける先生の働きぶりもすごい訳で
(成績表も、内容がとても細かいのです)、
 遊びと仕事をしっかり分けるオージーライフスタイルに感心しています」

〈2014年4月〉

 

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マーフィー恵子

マーフィー 恵子Keiko Murphy

Pouch Quality Aussie Gifts
オーナー

93年よりオーストラリア、ケアンズに在住。「ハートに響く異文化体験のトビラ」をモットーに、地元企業と日本人マーケットをつなげるPRやイベントを手がける会社 JC Creations を経営。1995年フリーペーパー「リビングインケアンズ」を創刊。2011年に出版事業は売却。2012年4月に地元の良いモノ・素敵なライフスタイルを紹介するセレクトショップ「パウチ」をオープン。著書に「家族でケアンズ最強ガイド」(講談社)がある。執筆記事はこちら
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