この度2児の母親となった私。予定日を過ぎること9日目。翌日まで何も起こらなかったら人工的に陣痛を誘発しようと決めたその夜、ついに陣痛が始まった!
こちらのドクターは異常があって始めて処置を施す。長男の時は予定外の帝王切開だったけれど、出てきた赤ちゃんを見て「大きいし(4045gもあった!)へその緒が2重に首にまきついてたし、普通分娩は無理だったかもね」と一言。産まれてみてわかったのだった。
日本では生まれる前に緊急事態になることを避けて、胎児の頭の大きさとお母さんの骨盤の大きさを計ったり、内診したり入院したり色々予測して出産に備えるらしい。一方、自然に任せてみて何か起きたら医療処置を取ろうというのがオーストラリア流のようだ。帝王切開の割合が日本は10%前後、オーストラリアは25%前後というのもそんな考え方の違いの現れかも。
もちろんケースバイケースだろうけれど、こちらは出産に対して構えた雰囲気がない。家のラウンジのような分娩室だし、どんなポーズを取ってもOK。足を袋でまかれたり、台に固定されることはない。好きな音楽のCDを持ち込む人もいる。
さて、痛みに耐えること約6時間、何か押出したいという気持ちになってきた。日本の出産本の“息みを我慢する今がいちばんつらい時。痛みも「極期」と強烈です”という描写を思い出してコワくなる。が、助産婦さんは「そろそろ息みたいんじゃない?」と呼吸のとりかたを教えてくれた。あ、我慢しなくていいんですか?とほっ。助産婦さんの励ましとリードのうまさは素晴らしく、とっても頼もしい。
その後ドクター登場。午前1時頃だったので、ものすごく眠そうだ。(お産は明け方が多いからかわいそう)アボリジナルアート柄のTシャツと短パン姿の彼にリラックス感が増して…。いよいよ生まれるという時はドクターも助産婦さんもすっかり和んだ雰囲気に。
「頭が出てくるよ。触ってみる?」…と聞かれてもこちらは必死で声にならない。でも誕生の瞬間はしっかりと見た。へその緒は青白くて、なぜか宇宙的に見えた。立ち会っていたダンナは「男でよかった」と言っていたけど、私は赤ちゃんがお腹の中で育ったこと、そして無事に生まれてくれたことを想い、満たされた気持ちでいっぱいだった。
1人の人間がこの世に出てくる時のパワーは絶大で、どうすることもできないほど圧倒的なものだった。新しい命が育まれ、そして誕生。理屈じゃない。どの一瞬も“自然の計らい”を体で感じて厳粛な気持ちになる。痛みとか大変さ以上にかけがえのない体験だと思う。(でも、私は2回でいいです…)さあこれから体力勝負の日々。益々たくましくならねば。
(リビング・イン・ケアンズ誌2000年11-12月号に掲載)